私からの人権メッセージ 受賞作品

堺市人権教育推進協議会主催の「第44回わたしからの人権メッセージ」作文で特選・入選を受賞した作品を掲載します。

特選 「いじめ」
    村本 日向 (原中1年)
特選 「命のバトン」
    岡  愛莉 (ひかり小3年)
特選 「ぼくのおにいちゃん」
    寺田 倫  (ひかり小2年)
入選 「いろんな人のたのしいおまつり」
    井藤 希  (ひかり小2年)


いじめ

原山台中学校1年 村本 日向 

 ある日の学校の休み時間に、ろう下から「だっさ。」と声が聞こえました。そこには、男女のグループがいました。一見楽しそうなふんい気でした。でも、よく見るとそのグループの一人をバカにしている様子でした。バカにされている生徒は、苦笑いしていました。ぼくはどうすればいいのか分かりませんでした。いじめの現場を見るのは初めてでした。
 家に帰って、その日見た事がモヤモヤして嫌だったので、色々考えてみました。
 小学生の時、私が授業中ミスをしてしまった時、クラスメイトが三、四人で私がミスしたことをバカにしてきました。周りの人達には、ノリの感覚で笑っているように見えたと思います。私も自分の事なのに一緒に笑ってしまいました。悲しいのに笑ってしまっている自分自身にすごくショツクでした。今でも覚えています。バカにされた本人も一緒に笑ってしまうと、周りの人達に自分自身の悲しい気持ちが伝わらないので、こういう時はどうすればいいか考えてみました。
 強い人が弱い人をいじめたり、多い人数で一人をいじめたりすることは、もちろんいじめている方が悪いですが、今回の件は、自分の傷ついている気持ちを相手に伝えないから自分も傷ついているのだと思います。そこで私の考えるいじめを減らす方法が二つあります。
 一つ目は、自分がやられると嫌なことは相手にしないということです。何かする時は、相手の気持ちをよく考えるべきだと思います。ネットなど相手の顔が見えない場合も同じです。特にネットでは、書き込みや、動画などは、一生残るので、もっと考えなければいけないと思います。
 二つ目は、自分が嫌と思う時は、嫌とはっきり言う事です。そうすることにより仲間外れにされるかもしれません。でも、自分の気持ちが伝わり嫌な行為がなくなったり今より仲が深まるかもしれません。これを一人一人が意識すればいじめが減っていくと思います。
 いじめを完全になくすのは、難しいと思いますが、今自分自身にできる小さなことを、みんなが積み重ねていけば、いつかは世界に広がり、いじめがなくなる時が来ると信じています。


命のバトン


原山ひかり小学校3年 岡 愛莉 

 夏休みに、長崎のおばあちゃんの家で、一緒に千羽づるをおりました。そのときに、78年前の話を教えてもらいました。
78年前の8月9日、私のひいおばあちゃんは、長崎の香焼(こうやぎ)という島に住んでいたそうです。この日、用事があって、船で長崎の本土に行く予定でした。ところが、のる予定の船にのりおくれてしまいました。あつい中、次の船を待っていると、海の向こうがピカッと光ったそうです。11時2分に長崎に落とされた原子爆弾でした。その爆弾で、約7万4千人の人が亡くなったそうです。ひいおばあちゃんも、予定通りの船におくれずにのっていたら、命をうばわれていたかもしれないそうです。そして、その3年後におばあちゃんが生まれ、母、私へと命のバトンがうけつがれて、今の私がいます。
 バレエを踊ったり、学校で算数のべん強をしたり、伝記の本を読んだり、妹とけんかをしたり、あくびをしたり・・今、私が当たり前にしていることは、実は当たり前ではないのだと思いました。なぜかというと、78年前のあの日に、命のバトンがとぎれていたら、私は今ここにいないからです。だから、私は、自分の命をもっと大切にしていきたいです。
 それと同じように、世界中の一人一人の命も、もっと大切にしなければいけないと思います。なぜなら、世界中の一人一人が、命のバトンをうけついできた、大切なそんざいだと思うからです。
 今も、世界中で、戦争がたくさんおこっています。核兵器は、世界中で、1万発以上もじゅんびされていると新聞で読みました。
 「戦争がなくなって、世界が平和になりますように。」
 でき上った千羽づるを、おばあちゃんと一緒に原爆落下中心地に持って行き、手を合わせて、心の中でいのりました。


ぼくのおにいちゃん


原山ひかり小学校2年 寺田 倫 

 ぼくのおにいちゃんはしゃべれません。じへいしょうがいらしいです。ぼくは、ママに、しゃべれないだけなのになんで字もかけないの?ときいたら、「からだは4年生だけど、あたまは2さいなんだよ。」といいました。
 ぼくは、このさく文をかくことにすごくゆうきがいりました。ともだちに、「おにいちゃんしゃべれないねん。」といったら、「しゃべれないん、ダッサ。」といってきました。そのことばで、ぼくはきずつきました。それからは、やさしいともだちの4にんにしかいわなくなりました。
 ぼくにはうまれたころから、じへいしょうのおにいちゃんがそばにいました。おにいちゃんのできないことやむずかしいことは、ぼくがてつだっているよ。そんなおにいちゃんをバカにしたらムカッとするのは、かぞくだったらみんなもそうおもうよね。しょうがいがあってもなくても、こころはみなんいっしょだよ。かなしい、くやしいきもちはだれにだってある。バカにされたり、のけものにされてもいい人は、このせかいにだれ一人もいないよね。
 このさく文によって、しょうがいしゃの人に、もしやさしくできていない人がやさしくなってくれると、ぼくはこのさく文をかいたいみがある。せかいで人と人がたすけあうようになったら、ぼくはうれしい。


いろんな人のたのしいおまつり


原山ひかり小学校 2年 伊藤 希 

 ままのおしごとで、まつりがありました。
 なぜまつりをしたのかきいたところ、しょうがいしゃがかよっている、生活かいごのばしょを、地いきの人たちにしってほしいためにまつりをしたと言っていました。
 まつりに行って分かったことは、ちてきしょうがいがある人にはゆっくりはなしかけたらあいてにつたわったり、ことばをりかいできない人やコミュニケーションがむずかしい人は、絵カードをつかって「かきごおり下さい。」とおみせの人につたえて買ってる人もいてました。
絵カードなどつかうことで、地いきでくらせるかのうせいがあると思いました。
 なかよくなった、しょうがいの女の子に、「ねこふんじゃったひいて。」と言われたので、ひきました。うたをうたったり、ひきおわったら、「ありがとう。」と言ってくれて、うれしいきもちになりました。いっしょに楽しい時間をすごしました。
 しょうがいしゃの人も、みんなとかわらず楽しいことは楽しんだり、しょうがいしゃの人はできることはあると、地いきの人に知ってもらいたいです。
 自分らしく生きるために、どうしたらいいか、わたしは、これからかんがえて、いかないとダメじゃないかなと思います。


20231203掲載